カナダ先住民専門店「ファーストネーションズ」物語

カナダ北西沿岸ノースウェストコースト地方に伝わる北西海岸ネイティブインディアンアート専門店「ファーストネーションズジャパン」の社長ブログです。

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白人の友人の最後 by トーキング・マイノリティ 他

白人の友人の最後 トーキング・マイノリティ 2009-06-12

『ソルジャー・ブルー』というアメリカ映画がある。映画のあらすじを紹介したサイトもあり、1864年11月29日、コロラド地方で起きたサンドクリークの虐殺事件[Sand Creek Massacre]を、西部劇には珍しく先住民の立場で描いた異色作。この映画が制作された1970年は折りしもベトナム戦争中、ソンミ村虐殺事件(1968年)とも重なる。

しかし、サンドクリークの虐殺で生き残ったシャイアン族の長にも係らず、生涯白人との友好を訴えた人物がいたことをネットではじめて知った。せっかく サンドクリークで生き延びた彼もまた、4年後の別の虐殺事件により生涯を終えた。 

私が『ソルジャー・ブルー』を見たのは20年ちかくも前で、最後を除いてストーリーは殆ど憶えていない。若い白人の男女が先住民について議論をしているシーンが延々と続き、退屈に感じた。しかし、ラストシーンでの虐殺場面はやはり圧巻。兵士による輪姦や女子供のような非戦闘員への殺戮、スプラッター映画を思わせる死体損壊などおぞましい映像が繰り広げられる。

予めこの映画の顛末は知っていたが、実際に映像を通して見ると印象は又違ってくる。ただ、現実はさらに惨かったようで、以下wikiから引用した箇所は、さすがに映画化されなかった。 

-指輪を奪うために指を切断し、子どもも合わせた男性の陰嚢は「小物入れにするため」切り取られた。男性器と合わせ、女性の女性器も「記念品として」切り取られ、騎兵隊員たちはそれを帽子の上に乗せて意気揚々とデンバーへ戻った…

シャイアン族のキャンプを襲撃した白人兵士達は酔っていたそうだが、早朝から昼頃まで虐殺は続いたのだから、飲酒は言い訳にならない。この陸軍騎兵部隊を率いたチヴィントン大佐[John Milton Chivington]はそれまでの名声を失い不遇のうちに没したが、享年71歳だから短命ではない。 

ひとり大佐の命に従わぬ将校サイラス・スーレがおり、スーレの告発により事が発覚する。スーレは後に虐殺に加わったチヴィントンの部下の兵士に殺害された。チヴィントンはスーレを偽証者と糾弾、最後までインディアンの襲撃への対抗と主張し続けたという。 ちなみにチヴィントンは牧師でもあり、先住民へ伝道活動もしていた。 (He was also a member of the Freemasons, and the Masonic Square and Compass is featured prominently on his headstone.) 

チヴィントンは刑事責任を問われることはなく、およそ百年後のソンミ村虐殺事件の責任者ウィリアム・カリー中尉[William Laws Calley]が、判決から3年後仮釈放されたことも酷似している。

ブラック・ケトル[Black Kettle, 1803-68]というシャイアン族の長がおり、彼は部族の惨殺を目の当たりにしても、白人との和平を望みを捨てなかった。wikiには「非常に温厚で慎重な人物」と記されているが、その人徳は仇となる。

ブラック・ケトルが死亡したのはサンドクリーク虐殺事件から4年後の1868年11月26日、オクラホマのワシタ川でだった[Battle of Washita River, November 27, 1868]。 

ワシタ川の川岸に野営していたケトルらシャイアン族を襲撃したのこそ、カスター将軍[George Armstrong Custer]指揮下の第7騎兵隊。 (The Custers were once members of the Masonic Temple.)

これも先住民が寝静まっている夜明け頃の不意打ちで、女子供を問わない皆殺しとなった。  
  
ケトルの死をwikiは以下のように描く。

-この時、彼のティピー(テント)には白旗が掲げられていた。

彼は必死に「友達だ! 友達だ!」と叫んだが、それは無視され、最新鋭の軽機関銃で蜂の巣となった…


白人との友好派だったケトルの最後は、悲惨としか言いようがない。白人と敵対せず“非常に温厚”な長であっても、結局蜂の巣の屍となった。白人側は所詮ケトルらを友人とは思ってもいなかったのが、この史実だけで知れる。後知恵で白人を信用したケトルを愚かと批判するのは安易かつ容易だが、この悲劇からも教訓を得られるのではないか。この事件から私は次の様に結論を下す。個人間なら友情も可能だが、集団や国家間では友好などありえない。多文化共生は実現不可能な夢物語であり、異民族、異教徒には心を許さないこと。

日本の親欧米派文化人、殊にクリスチャンなら、上記のような虐殺事件への弁明はこうなる。「そのような欧米人はキリストの精神を忘れてしまった」「どの宗教にも問題のある聖職者はいる」。 ただし彼らで欧米人に、「あなたの行いはキリストの精神に反している」と言える度胸を持つ人物がいるか極めて疑問だが。 

また、虐殺事件を紹介した先住民記念館の例を挙げ、「我々はインディアンの悲劇を決して忘れない」と語ったアメリカ知識人に感銘を受けたと書いていたブロガーもいた。全くアタマの程度が知れるお目出度さ。

1世紀後のベトナム戦争やアフガン空爆、現代なお続くイラク戦争だけで、19世紀とアメリカは基本的に変わっていないことも黙殺したいらしい。それとも同じキリスト教徒ゆえ、友達扱いされることを期待しているか。 キリスト教に改宗し、人間扱いされたインディアンなどいたのだろうか。

(もし「神の与えたもうた、この豊かな土地を、低い生産性でしか利用出来ぬインディアンの存在は。神の御旨にそわぬ」とするのが、白人たちのインディアン排除の正当な唯一の理由だとすれば、白人と同じように、いゆやそれ以上に大地の利用度をたかめ、文明の生活をし、信仰あついクリスチャンになればよいはずではないか。つまり、白人より"白い"インディアンになればよいはずではないか。チェロキー達は白人の偽善に対して痛烈な皮肉を、ジョークを報いるつもりだったのではない。まことに彼等は、その愛する祖国の地にとどまる唯一の活路を、希望をそこに見たと思ったのである。一八一八年から一八二八年のほぼ一〇年間に、チェロキー達のなしとげた進歩の急激さは目をみはらせるものがあった。p161・・・・・ チェロキー達が大昔から自分達のものとして慈しんできた、その美しい山河をとりあげて、白人のものとすること--白人達のめざすところは、はじめからただそれだけであった。 「神の思し召し」も「土地の生産性」云々も、いまとなってはもうどうでもよろしい。要するに、土地だけは絶対いただくことにする--ジョージア州の白人達はもはや"なりふり"などかまってはいられない。天真らんまんともいえる露骨さで、チェロキー・ネイションの抹殺を開始するのである。 p172・・・・・「アメリカについて、チェロキーのとった見解が、小学生のようにナイーブだったということはやさしい。 しかしこのチェロキー事件の全体は、「アメリカ」につきつけられた試金石であり、そのテストの前に「アメリカ」がその本質を見事に露呈して行った一つの過程であった。 このテストを無視して、ジャクソン・デモクラシーの体質を論ずるとすれば、それこそナイーブというものである。p178・・・)



「狡兎死して走狗煮らる」という諺がある中国となれば、もっとキツイ。米中に限らず人類史は、ソンミ村虐殺事件のような出来事で今度も埋め尽くされる。歴史上の夥しい虐殺事件は、それを避ける予防知識にある程度役立つのかもしれない。
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テーマ:北西海岸インディアン文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2010/10/19(火) 12:13:46|
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